I'm a No Jack.
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夜8時。バスケット部の練習ももうとっくの昔に終わって、みんな家に帰って いる時間に、俺は真っ暗な部室に入った。糸田部長のロッカーに、退部届を 出すためだ。バスケ自体は好きだけれど、もうあの人にあわせる顔が無いから。 今日の練習も、結局ずる休みしてしまった。糸田部長は怒るかもしれないが、 あの人を困らせるよりかはましだろう。 鍵が壊れている窓から侵入を果たして、俺は糸田部長のロッカーを開けた。 部長らしく、きっちり神経質なぐらいに片付いている。俺は、畳まれたタオル の上に、そっと退部届を置いた。置いて、ロッカーを閉めると、なぜかため息 が出てくる。糸田部長のロッカーにもたれて、天井を見上げると、なんだか 汚い天井が、ぼやけて見えて、かなり感傷的な気分になってしまった。 『好きな人がいる』というあの人の言葉を、もう何度目か分からないけれど、 頭の中で再生した。すまなさそうな顔が、余計俺の心をしめつける。 今まで女しか好きにならなかったし、つきあってきたのも全て女だったのに、 まさか、ここまでハマる人が、男だったなんて。そして、ふられたなんて。 まだ、自分が信じられなかった。 「…先輩…」 つぶやいた瞬間、パチン、という音とともに、視界が真っ白になった。 どうやら、誰かが部室の電気をつけたらしい。 「誰です? コソコソとこんな時間に。……おや、蒼木君」 目をしばたかせて入り口を見ると、そこにはまだユニフォームを着た糸田部長 が立っていた。 「…糸田…部長…。何で、こんな時間に…」 俺は、予想外の事態に、すごくまぬけな顔をしていたに違いない。 いやなところを見つかってしまった。 バスケ部の人間とは、もう顔をあわさないつもりだったのに。 「…先生と大会のことで、打ち合わせをしていたんですよ。…君は、練習を  ずる休みしておいて、こんな時間に何をやっているんですか?」 糸田部長は、手にもっている選手名簿をもてあそびながら、俺の前に立った。 その威圧的な態度に、むっとする。 「…その…退部しようと思って…」 俺が視線をはずしながら、不機嫌にそう言うと、糸田部長が眉をぴくりとあげ た。そして、選手名簿の角で、俺の頭をこづいた。ゴツリと音がする。 「な、…何するんすかっ」 「こんな非常識な時間に部室に来るような人に、おしおきをするのは当然です。  あと、ここは私のロッカーです。どきなさい」 糸田部長は、俺を押しのけると、自分のロッカーを開けた。 そして、タオルの上に置いた俺の退部届を見て、また眉をあげた。 無言でそれを取り出し、床に放り投げる。 「何するんスかっ!」 俺の苦渋の選択をバカにされたようで、さらにむかついた。 「久保君に、告白でもしてふられましたか?」 糸田部長は、俺の怒鳴り声に動揺する気配すら見せず、逆にニッコリと笑う。 俺は、糸田部長がそれを知っていることに、驚いて、言葉が出なかった。 そして、久保先輩が糸田部長に喋ったのだ、と思った。 もしかして、今日俺がいない間に、久保先輩がバスケ部全員に話したのかも しれない。「男に告白された」なんて、いい笑い話になるだろう。 「…知っているのなら、いいでしょ。もう俺は、バスケ部にはいられません  から」 俺は、床に落ちた退部届を拾ってもう一度糸田部長に渡す。 「おや、私が知っていることに動揺しないんですね」 糸田部長は、その退部届を受けとろうともせず、さらに俺を追い詰めるように そう言った。 「…久保先輩が、どうせ喋ったんでしょう?」 やけくそで俺はそう言う。ちょっと泣きそうになった。 「おや、あなたの好きな人は、そんなことをするような人だったんですか。  また蒼木君は、嫌な人を好きになったものですね。糸田でした」 「……久保先輩が話したんじゃないのか?」 糸田部長は、サドそのものの顔をして、退部届を差し出す俺の手を握った。 そして、ギリギリと強い握力で締め上げる。 「先輩には、敬語をお使いなさい。社会に出た後、苦労しますよ?」 俺は、糸田部長の手を振り払おうとして、失敗した。 糸田部長は、そんな俺を子供相手のように簡単に、くるりと体を反転させて、 自分とロッカーの間に閉じ込めてしまった。 俺も身長は高い方だが、糸田部長は俺のもう一回り大きい。 部長の威圧感が、じわりと体にしみこんできて、逃げられない。 しかし、生来の負けん気が、俺の心を奮い立たせていた。 「…離してください。もう、俺はバスケ部とは関係ない…! 退部するん  ですから!」 「先ほども聞きましたが、久保君にふられたことは、そんなにこたえました  か?」 「…! だから、何で部長がそれを知っているんですか!」 糸田部長は、スゥ、と目を細めて、満足げに笑った。 「…蛇の道は蛇。類は友を呼ぶ、ということわざは知っていますか?」 「…とも…」 「私も、あなたと同類、ということですよ」 糸田部長は、わざと俺の耳元で、そう囁いた。 どういうことだ。 耳元からだんだんと糸田部長の顔がさがっていき、俺の首筋に吐息がかかる 位置まできた。そこで俺は、やっと気づく。俺と同類、ということは、まさか 部長も…。 「糸田部長、もしかして…」 「そう。私も、久保君を狙っています」 糸田部長の囁きで、俺の首筋が熱くなった。 「…!」 「おや、驚きましたか。私は、あなたが久保君にむやみにつっかかっている  あたりから、ライバルだと認識していましたよ?」 糸田部長は、挑発するように、俺の襟元に唇をつけた。 生暖かい感触が、現実感を俺から奪う。 「…久保先輩には、もう好きな人がいる! あの人は、ノーマルだ。  思ったって…無駄なんだ…」 俺は首を抑えながら、そう言った。最後の言葉は、吐き出すと同時に俺の 胸にもつきささる。昨日の告白の結果を口に出したのは、そういえばこれが はじめてだった。 「そうですね。あなたには無理でしょうね」 「…! だから、あの人は好きな人がもう…」 糸田部長は、すごく至近距離で、俺を見下した顔をした。 「好きな人がいたから、何か? その人と久保君がうまくいく確証でも?」 「確証はないけど…でも、女の方だってまんざらじゃなかったみたいだし」 「私なら、その人から久保君を奪い取るぐらい、しますけれどね。  無理なんてあきらめて、バスケ部もやめてしまうなんて、負け犬みたいな  真似をするあなたとは、一緒にしないでもらいたい」 糸田部長は、すっと俺の体から離れた。 ずるずると、俺は支えを失った人形のように、床に座り込む。 頭の上から、糸田部長の冷たい声がふってきた。 「まぁ、あなたは私と違って、弱いですからね。しょうがない結論だとは  思います。退部届、受理しましょうか?」 糸田部長は、俺の手に握られたままの退部届を、指差した。 本当にこれでいいのだろうか。 糸田部長にバカにされたままでいいのだろうか。 この糸田部長の話を聞いていると、本当に久保先輩を奪われそうな気がする。 そんなのは嫌だ。 そんなのは嫌だ。 久保先輩が誰かとつきあうのは嫌だ。 その相手が、この糸田部長なんて、もっと嫌だ。 バスケ部をやめてしまったら、この人は好き勝手やるだろう。 俺は、退部届を手の中で握りしめた。 「握り締めてはだめでしょう? こちらにお渡しなさい?」 「…あきらめるの、やめました」 「何ですか? 小さい声で聞こえませんでした」 俺は、立ち上がって退部届を破り捨てた。 そして、床にばらまいて、糸田部長をにらみつける。 「あきらめるのはやめました! 俺は誰にも負けません! 久保先輩を、俺の  ものにしてみせますよ!」 糸田部長は、すぅ、とまた目を細めた。先ほどの冷たい笑みとは、また違った 顔になる。 「…なるほど。明日も、またバスケ部の部員として頑張るわけですか」 「そうです!」 俺は、部長の威圧感に負けないよう、精一杯糸田部長をにらみつけた。 糸田部長は、くつくつと笑うと、満足そうにうなずいた。そして、床を指さす。 「まぁ、精一杯がんばりなさい。でも、そんなにうちの部は甘いものじゃあり  ませんよ。明日は今日のずる休みと、部室侵入、そして部室の床にゴミを  ばらまいた罪で、一人ボール磨きからやってもらいましょうかね」 糸田部長は、床にばらまかれた退部届を、楽しそうに蹴って舞い上げた。 「楽しみに、していますよ」 俺は、糸田部長の顔をもう見るのも嫌で、背を向けて部室を出ようとした。 「蒼木君」 しかし、糸田部長は俺を呼び止める。 嫌々振り返ると、思ったよりも近くに糸田先輩の顔があった。 そして、糸田部長は、すばやい動作で、キスをしてきた。 やわらかくて暖かい感触が、唇を通して俺の頭を刺激してきた。 「…まぁ、宣戦布告のキス、といったところでしょうか。糸田でした」 唇を離すと、「してやったり」という顔で、糸田部長がそう言った。 俺は、糸田部長を殴ろうとして避けられたので、あまりにもむかついて、 「死ね!」と叫んだ。そして、部室のドアを思いっきり閉めて、出ていった。 俺は、昨日からずっと沈んでいた心が、怒りで少しだけ軽くなっていたことに、 家に帰ってから気づいた。
ヘタレですみません…。神の啓示により、蒼木君は、受けかなと思ったら、こんな話になりました…。 お目汚し、失礼いたしました。
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