11月19日、スヴャストラフ・リヒテル演奏/バッハ『平均律クラヴィーア曲集』

 これは名演だ。録音効果というものもあるのだろうけど、澄み切った音色、息の長いリヴァーブ、天国的ともいえるような実に美しい演奏だ。長調の曲では幼児退行的幸福感におちいらせてくれるし、逆に単調の曲ではバッハの音楽の深い深い底まで我々を連れて行ってくれる。

 『平均律』は、良く知られたことではあるけれども一応紹介しておくと、すべての音(ドから半音づつ、合計十二音)にそれぞれ長調・単調の曲を割り当てている。しかもそれぞれの長調・単調の曲にプレリュードと前奏曲をあたえている(だから合計12×2×2=48曲)。そういう偏執狂的ともいえる作品なのだ。

 さてこのCDで特に気に入ったのは、(第一集の)1番・ハ長調のプレリュードとフーガ、そして24番のプレリュードだ。1番のプレリュードには改めて驚かされた。この曲は『平均律』のなかでももっとも有名なんだが、とても数百年も前に書かれた音楽だとは思えない。同一の音形を少しずつ変化させていくだけのシンプルな曲。このシンプルさはむしろミニマリズムを想像させるほどだが、もちろんミニマリストはこの曲に影響を受けていたに違いない。

 この曲(1番プレリュード)はまるで植物が開花していくような印象を聴く者に与える。あたかもすべての変化がすでに種子に折りたたまれて内包されており、植物の生はその潜在的な変化を時間のなかで多様に展開していくものであるような、そんなイメージだ。この展開は何らかの外部から強制されて起こる展開ではないし、また内部から意思的に行なわれる展開でもない。それはおのずと起こるのだ。世界の流れと意志とがもはや別々のものとして独立しているのではなく、合致する幸福。受動でも能動でもない、自発性。

 24番プレリュードはそのような生命的なイメージとはまったく異なる。孤独な二つの旋律が繰り広げる音楽は、何もない宇宙空間を無関心に突き進み続ける二つの惑星を僕に想像させる。なんという暗い音楽だろう!もしも世界に生命が存在しなかったのなら、あるいは生命が消滅してしまったのなら、何の感情もなしに、しかも永遠に時間だけが流れつづけていくのだろう。そう想像してその無意味さに戦慄することがある。この曲が描くのはそのような宇宙だ。それを肯定も否定もせずに淡々とリヒテルは演奏していく。圧倒的な孤独。

 歴史的名演です(たぶん)。おそらくこれから先、何度も聴くことになるディスクだと思います。