サンタクロースが
現実的に自分のいる時空に存在して、
クリスマスに枕元まで
プレゼントを持ってきてくれる、
て、
いつまで信じていましたか??
私は物心着いた頃から信じていませんでした。
つまり、信じていた時代がありません。
私は、幼稚園が、カソリック系のクリスチャンだったので、
それはそれは、クリスマスは一大イベントでした。
園長先生が白人のスペイン人ということもあり、
サンタクロースに扮してプレゼントを抱えて登場したら、
いかにもそれらしく、
周りの友だち(園児たち)は、
まさに、狂喜乱舞、大感激の渦でした。
そんな中にあって、私は、
「あ、あれは、園長先生じゃん。
さすが、外国人。
その格好をすると、らしいなぁぁ〜。」
と、違う意味で感心し、
周りの友だちたちに、
「あれは園長先生よ!!」
と連呼し、バラしていたのでした。
それでも、
栄えあるサンタクロースから手渡しでプレゼントを貰った人はもちろん、
残りの大多数は、お遊戯室でのイベントが終わり、
自分の教室に戻ると座席にプレゼントが置いてある、
というだけで、
サンタさんが来た!!と言って喜んでいた。
それを見ていた私は、
みんなも自分たちがお遊戯室にいる間に
先生がプレゼントを置いてくれた、ということを知っていて、
単に、プレゼントがもらえた(お菓子やヌイグルミだったかな?)
ということを喜んでいるだけだと思っていた。
園長先生のサンタクロース登場にも、
みんな、知っていてわざと盛り上がっているものだと思っていた。
でも違っていた。
後々聞くと、本当に現実にいると信じていた、
という人が実に多くて、
しかも、それが、記憶にも残る小学校の低学年、もしくは中学年ころまで、
というのが圧倒的多数、というのだから、
信じていた時代の自分が、どういう思いでクリスマスを迎えていたか、
覚えている、ということよね?
それが、とぉーーーーーーーってもうらやましい!!
うちの親は、
マメにそういうのをするタイプでなかったので、
私の記憶の中で、クリスマスの朝に
枕元にプレゼントがあったのは1回きり??!!
それも、前日に、よおく、よおく、よぉ〜〜〜く
親に言い聞かせて、
なんとしても、枕元に置いておくように、
と念押しして寝る、という作業の結果の実現でした。
その念押しをしていても、
私の母はプレゼントを置くことを忘れるタイプで、
朝起きて、置いてくれなかったことを、
涙ながらに訴えたこともありました。
小学校低学年か中学年かな?
その翌年以降は、もう、
プレゼントを置くように指示することも止めました。
空しすぎて。
これは、親のせいなんだろうか。
それとも自分が冷めた人間だからなのだろうか。
サンタクロースの話は、
幼稚園でもたくさん聞かされるし、
本でも読んだけど、
それを聞いて、一度として現実のものとして受け入れてなかったよ。
ハナから、
サンタクロースが全国の、世界中の
何億という子供にプレゼントを届けるなんて、
不可能だ、と思っていたし、
煙突から入って…なんてフレーズを聞くと
まるで、『三匹の子豚』や『赤ずきんちゃん』のお話を聞いているかのように
まったくもって作り話である、ということを前提に聞いていたので、
信じる隙もない、というか、
信じるわけがない、というか・・・
やっぱ夢のない子供だった。
スレていたのだろうか。
純粋でなかったのだろうか。
自分の思い出せる小さい頃の記憶は、
ピュアにはほど遠い、
心の中で冷め冷め理論を展開していた。
それは、人として、その器の幅をせばめるような気がする。
どうやったら、サンタクロースを信じる子供になるのかな。
自分がそうだったから、
子供は案外、心の中で冷めていたり
計算があってやっている行動だ、と思いがちなのだが、
やはり子供はピュアだ、と思いたい。
soraポンはもう3歳。
去年までは、ものごころ着いてないし
プレゼント云々…という作業はしていないが、
今年はやっておかないと、ヤバイ。
もう、いろんなことが分かる年だし。
で、soraポンに、サンタさんから
何のプレゼントが欲しい?と聞くと、
「分かんない〜〜。」
と言った後、その近くにあったクリスマスツリーの飾りを指さし、
「これ。」
と言ったのは、丸いキラキラしたボンボン飾りであった。
たしかに丸い形もキラキラも好きではあるが、
これでよいのか、soraポン。
「soraちゃんの欲しいもん、
お手紙で書いて、サンタさんに送っておくね。」
と言うと、毎日のように、
「お手紙書いた?」と聞いてくる。
これで、第一段階はクリアしてるのかな。
後は、
24日の晩に、
soraポンの寝かしつけをするときに、
一緒に寝てしまわないこと、かな。
サンタさんを信じていた、という人、
どうやって信じ込まされたか、教えて下さい。
絶対soraポンには、信じ込ませたい!
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